最近あなたの暮らしはどう

「生産性」のある人間なんていないんだからお前の言葉をきかせてくれよ

 

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  こんにちは、独身で未婚、出産経験なし、24歳のフリーターときどき派遣社員バイセクシャル女性です。ほんとうは産む機械なのにやっぱり足りない感じで、いま話題の生産性がない人間。政治家のみんな、見てる~~~?私の人生は私のもの、指図はいらないよ。

 数日前、だいたいこんな感じの内容をツイッター上で字数制限いっぱいになるまで書いた。うんこが口角をあげて笑っている絵文字つきで。うんこに目玉をつけて絵文字にするアイデアを最初に考えついた人は天才だと思う。でも、気分は晴れなかった。「ほんとうは~」からはじまる一文は歴代の自民党の議員や都知事の発言を引用したものである。なかでも「LGBTの人は生産性がない」というのは自民党杉田水脈衆議院議員が2018年8月号の「新潮45」に「『LGBT』支援の度が過ぎる」と題して寄稿した論文だ。しかし、こんなものは売り言葉に買い言葉である。皮肉のつもりでへらへら自称しても、若干しんどい。これらの言葉は私を表すものではなく、強い違和感があるからだ。できることなら聞かなかったことにして、いたずらがばれて飼い主に一部始終を記録されている間抜けでかわいい猫の動画とか、大好きなコスメブランドの新製品の画像だけを眺めていたい。

 それでも「私の人生は私のもの」である以上、私の生き方を侵してこようとするものには声を上げなければいけないのである。黙ってる選択肢もあるとは思うけれど、絵文字は私のかわりに喋ってはくれない。

 私は政治ウォッチャーでもないし、評論家でもない、あんまり政治には詳しくないフリーターなので「大局観」に基づいた政策批判もできないし「対案」も出せない。「生産性」が指している意味を推測し、その言葉を私や私以外の人間に当てはめるのがなぜ間違っているかという点に絞って書く。

 第一に、本当にいやな表現だが「生産性」が文字通り「妊娠・出産する可能性」であると仮定する。リプロダクティブヘルス・ライツ(Reproductive Health and Rights: 性と生殖に関する健康と権利)という言葉がある。すべての個人とカップルが、子どもを産むか産まないか、産むならいつ産むか、何人産むかを自分自身で決めることができること。他人の権利を尊重しつつ安全で満足のいく性生活をもてること。強要を受けることなくセクシュアリティを表現できること。これらは当然備わっている権利だ。たかが「人口増加に貢献しない」ぐらいで税金を投入する必要はない、と言い切って欲しくない。

 第二に「生産性」がもっとぼんやりとした意味で「社会に経済的な利益をもたらす人間」という意味であると仮定する。これはこれで危険な論調である。「LGBTは生産性がない」が許容されるなら「精神障がい者は生産性がない」「身体障がい者は生産性がない」「生活保護受給者は生産性がない」「病人は生産性がない」「高齢者は生産性がない」「働けないひとは生産性がない」…最悪な例えとして書いているだけで気が滅入ってきたが、「生産性」という言葉そのものが恣意的に使われている以上、際限なく「生産性がない」人々の定義が拡大してしまうだろう。津久井やまゆり園への襲撃事件は記憶に新しい。生活保護受給者へのパッシングが過剰になりがちな風潮もある。社会の中で周縁の人、マイノリティとされる人々へのまなざしが冷たいものになってはいないだろうか。一般に、「生産性」という言葉は少ない資本または労働力でどれだけ付加価値を生み出すかという指標らしい。人間の長い一生という、意志に基づいた選択と偶然の結果に左右されるものに、工場の製造ラインのように「生産性」を当てはめるのは侮辱的だし、無理がある。影響力がある立場の人間が、人を人とも思わないようなことを拡散するんじゃないぞ。

以前にも書いたことがありますが、私は中高一貫の女子校で、まわりに男性はいませんでした。女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。

LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。」と述べながら同じ文章の別の箇所では「不幸な人」と言っているので自らが反証を示してしまっている。

 とってもクサイから言わずにいたけど、ひそかに信じていることを書く。私がいま必要なものはお金でもビジネス上の成功でもLGBTマーケットとしての認知でも赤ん坊でもアクセス数でもなくて愛なんじゃないのか。ボーイ・ミーツ・ガール、男性と結ばれてめでたしめでたし、という結婚至上主義的な愛ではない。この夏はボーイともガールともデートする予定もないしね。あなたは彼・彼女と結ばれて子どもを産んだから価値がある、ここにいていい、そういう外側にいる世間様の価値基準からの承認ではなく、私は私でいいんだという自分を肯定できる愛。それから「あなた」と「私」の行く道が違おうとも互いを尊重できること。そのためにも差別を差別とも自覚しないままにこちらを踏みつける足はどけてもらわなきゃならんのだ。寄稿はできないけれど、反対のことをいつだって叫んでやる。ちっとも不幸じゃないし、生きているだけで価値があり、私たちは最高。

 杉田議員の寄稿を読み進める。

多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころか、ペット婚、機械と結婚させろという声が出てくるかもしれません。現実に海外では、そういう人たちが出てきています。どんどん例外を認めてあげようとなると、歯止めが効かなくなります。

 発言している内容があまりにもエクストリームすぎて、現実味がない。国会議員という男性社会のなかで保守政党比例代表の名簿トップに大抜擢され、過激な発言をすればするほど重用されていく女性の人生を思う。自民党からすれば、ありがたい存在なのだろう。女性でありながら、男女平等主義はけして口にせず、BBCのインタビューが取材に訪れたらレイプ被害にあった女性の告白をきけば被害者の落ち度を厳しく叱責する。百戦錬磨の政治家なら批判を恐れて言えないようなことでも、顔出しで答えることを厭わない若手議員。鉄砲玉のような存在なのかなぁ。いよいよ倫理上の一線を越えたら切られるのかもしれない。すでに越えているような気もするが。現実ではどうだか知らないが、ギャング映画でそういうの見たぞ。ていうか政党から辞めさせられるときってなんていうんだっけ。企業なら解雇だけど。辞職?辞任?と考えて調べたら除名だった。

 さきほどから想像でばかり話してしまっている。というのも、私は彼女について全然知らないからだ。みおさん、私はあなたの言葉が聞きたい。「朝日新聞」「国家を崩壊させかねない勢力の脅威」が主語じゃない、あなたの言葉を。LGBTsさんという人格がいるのではなく、たまたまLGBTsのどこかにあてはまる属性を持った人がそれぞれの人生を生きているように。公式サイトにプライベートな情報はあまり見当たらなかったけれど、娘がすくなくとも一人いるらしい。娘さんが実子なのか、養子なのかはたまた義理の娘なのか私には知る由もないけれど、娘さんと暮らし始めたときに胸の去来した思いは「生産性が上がった・上がっていない」「出生率上昇に貢献した・していない」ではなかっただろう。そうであってほしい。

 めちゃめちゃおせっかいだけど、杉田議員が子どもを産む選択をしなかったとしても、自分を価値ある存在として愛せていてほしい。差別発言については謝罪して撤回し、人生の先輩としてあなたの経験を聞かせてほしいと言ったら生意気すぎるだろうか。それでも「あちら側のあなた」「こちら側のわたし」ではなく人と人として話がしたい。そこから始めたら、すこしずつ生きやすい社会に変えられるかもしれないから。